■ 伝えるべきコトバとは何だろう
作文を創るのは好きだったが、自覚として文筆活動を始めたのは1981年、
国語授業で「詩を創ってみよう」との課題があり、
後日、生徒全員の詩が全員の前で講評された。
自分の創った詩は、「それは詩じゃない」と酷評された。
言葉に表せないが、自分の創ったその詩は、自分としては確かに「詩」だった。
公開するのは恥ずかしいが、それはこの詩だ。
「やる気」
やる気、やる気と云われるが、やる気のない人間がどうしてここにいるのか。
お前の都合じゃないか馬鹿野郎。
・・・いまではこの酷評に感謝している。 これがなければ、今の自分はどこにもない。
それから、詩や日記や作文を書き溜めてゆくこととなる。内面のまだ奥で。
この時期、ブームであった全国プラモデルコンテストで2年連続優勝した経験がある。
今にして思えば、何かにつけ「負けないこと」、「勝つこと」に対して過剰な拘りを持っていた。
それこそが、武器であると思っていた。
支離滅裂な文章になってしまっているかもしれないが、ここは事実のまま思いのまま書きたい。
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■ 問題。場が欲しいなら自分で創ろう
時代は飛んで2004年の初夏、旅先の富山県魚津。
山手、「学びの森」という森林広場で、なにやら面白そうなイベントをやっていた。
祭りが大好きな自分は、自然とそこへ足が向いた。
夕刻、これからキャンドルの灯りだけで、様々な分野の催しがあるという。
音楽を聴く。短編劇を観る。 そこで会場にアナウンスが流れた。
一組の欠員が出たという。
「このステージで何かしたい方はおられませんか?」
「歌でも談話でも「ポエトリー・リーディング」でも」。!!
なに? 「すみません、ポエトリー・リーディングって、詩の朗読って意味でいいんですよね?」
「スタイルに拘らなくっていいですよ。なにか作品をお持ちで?」
持ってますとも!! これがポエトリー・リーディングと自分との、愛の出逢いとなった。
この日のことは決して忘れない。 が少しばかり省略しよう。笑わせるところではないから。
帰阪後、Webで、足で、ポエトリーイベントというものを探しまわった。
多いとはいえないが、あるにはあった。それら全部に参加して回った。
(蛇足だが、「ポエトリーイベント・バブル」と呼ばれた時期が破綻した直後だったそうだ。)
(1) あるイベントは、皆が好きな作品を平等に詠め、それを批評し合って楽しむものだった。(オープンマイク)
(2) あるイベントは、その場で皆で作品を創る、平等なワークショップだった。
(3) あるイベントは、小さな世界でしか名は通っていなくとも立派なショーとして楽しめるものだった。
(4) あるイベントは、自作ではなく指定された詩人(無名)の詩を詠み、その無名者が講習するものだった。
ーーーーー 無名と書いたが、「金魚鉢の大将」だ。 ーーーーー
(5) あるイベントは、メインキャストが決まっているほかに「オープンマイク枠」というものがあり、
演じる時間の差が大きいことに加え、「オープン枠」は全て「客」として扱われていた。
このパターンのものに限って(当時は最も多い類だった)オープン枠にも参加しない純粋な観客はほとんど見かけることがなかった。
そうしなければ人を集められないのだ。集める能力がないのだ。あっても、それを放棄しているのだ。
酷いものとしては、オープン枠に出る人はストップウォッチを手渡され、「鳴ったらそこで止めてくださいね」と。
こんな場に出る「メインキャスト」に限って、客への礼儀も何もわかっていないのが目立つ。
さらに言わせてもらえば、大したこともない。自分が富山で受けた拍手の方が多かろう。
かつて「ポエトリーバブル」の時代があった、 だからどうだというのか。
・・・海外の話をしているのではない。日本だ、ここは。
この文化は、現在の日本ではどうなのだ? 認知度は、どうなのだ?
小さな世界を大きな世界にしたくはないのか。金魚鉢のままでいいのか? これが今の現実なのか?
当然ながら、ここで自分が問題視したのは(4)と(5)だ。
そのような場への出演履歴は、自分の履歴 Activity historyには加えていない。恥だから。
現状を知れただけで充分である。
そして、そんな「ままごとイベント」は記録も何の成果も残せず、自らを破滅へ追い込んで消えてゆく。
・・・自然と思った。「場がないなら、不満があるなら、自分で創ろう。すぐにとりかかろう」と。
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■ フルオープン・フルメインキャスト !!
FULL OPEN STYLE FULL MAIN CAST
誰もに開き、誰もが主役。
このキャッチフレーズ自体は2009年1月9日開催のAWC前身”Osaka Poetry Night”で発表したもの
だが、構想は残念な思いをする度に膨らんでいっていた。
ALL WORDS COA PROJECT (AWC) は、
オープンなら区別なしのフルオープン。
ショーなら芸能としての責任感を持ったショー。
ワークショップならワークショップらしく、可笑しな講義者など置かない。
それはそれ、これはこれ。完全に分離して行う。
未だ日本では不本意に小さなこの分野で、誰が誰の前座を務めろというのか。
この基本中の基本を厳守するものがAWC。
破綻した「ポエトリーイベント・バブル」とやらは、ままごとが横行した結果である。
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■ コミュニケーションと潜在的認知
自分の知らない人間が多い中に立って、自分のみを「用いて」表現することは、
コミュニケーションの完結にも繋がっていくものではないだろうか。
完結とは成立の先にあるものである。例えるなら友人と親友の違い、それに近い。
AWC発起の協力者、BJだいちとも思案が重なる。
現代の日本が日々、急速に失ってゆくもの、それを埋める役割も果たせると考える。
双方向性。人の作品にも耳を傾けてみる。これだけで、既に関わりがはじまっている。
考えてもみれば、人とはその存在そのものが作品なのだ。
ここに、この作品の「表現」の中に、区別や差別があって良いはずがない。
現実にAWC発起直後から、全国各地から次々に賛同者開拓者が現れ、
ポエトリー・リーディングに触れることのできる環境が多く出来、
「日常生活シーンに最も近い文化」、それに「優れた芸術文化」としてゆっくり、しかし着実に発展して行く。
伝えたい言葉を伝えるという意味で、潜在的には誰もが理解する文化であるから、
日本においても一般認知向上、大変な人気となる日が来ることは間違いないのだろう。
芸能としてもしかり。 言葉の持つ力は無限なのだ。
( 2005.1.9 椿 )